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学芸研究室から(第12回)【商品】時代の様相を映す「伝統工芸」

工芸品の種目や産地の別によっても違いはあるのだが、昔ながらの懐かしいイメージを抱いて産地の展示場を訪れると、並んでいる商品が現代チックなことに意表を突かれることがある。やきものを例に取れば、まず、フリーカップ、マグカップ、和洋を問わずフレキシブルに使える中型皿といったあたりで、古美術品にはない器である。昔ながらの抹茶碗や花器は奥の方に割とひっそりと隠れている。こうした状況を目の当たりにして、「伝統」とは何かをあらためて考えさせられた。今日、伝統工芸と言われているものも、実際には過ぎ去りし時代ごとの価値を反映しつつ、姿を変えながら生き残ってきたと言ってよい。すなわち、古くからのものがそのまま取り残されているのではなく、生き物のごとく進化を遂げつつ、一見、古式を継承しているように見えるものなのだ。

昭和の戦前、ナショナリズムの高揚期に日本文化の独自性が探求される中から桃山期(16C末~17C初)の茶陶(抹茶碗、水指、花器etc.)を再現する試みが生まれた。荒川豊蔵(美濃焼)、金重陶陽(備前焼)、中里太郎右衛門(唐津焼)といった工芸作家が、その後に産地のイメージとして定着する技法を手がけた。戦後になると、「文化財保護法」(1950)の中に工芸技術(無形文化財)が規定された。重要無形文化財の追加規定(1954)によって、重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定が始まり、その啓発事業として開催された「日本伝統工芸展」は「伝統工芸品」の用語の定着を促したと評価されている。

そして、経済成長を達成してみると、1970年代、欧米に対し自分達は何者かというナショナル・アイデンティティが自問されるようになった。また、環境破壊や公害が顕在化し、成長至上主義に疑問が呈される一方、伝統文化・地方文化への関心が高まりを見せた。そうした中、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」(1974)が制定され、通商産業大臣に対する「伝統的工芸品」としての指定申請が始まると、産地のカラーとして古式のデザインが再定義され、古美術のコピーとも言えるイメージが前面に押し出されることになる。有田・伊万里の東欧訪問団が現地で古伊万里の名品を見出し、祖先の優れた仕事を再認識させられたエピソードがこの時代の雰囲気を表している。

1980年代後半のバブル景気は伝統的工芸品産業の追い風となったが、その崩壊後の経済不況下、伝統工芸は古美術のコピーではなく、ユーザーのニーズに敏感な商品開発を迫られることになる。その意味で、展示場に並ぶ商品群は21世紀初頭という今日の時代の様相を映していると言える。

外山 徹(とやま とおる/博物館商品部門学芸員)