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学芸研究室から(第2回)【大学史】神田の街と明治大学─古写真から窺い知る両者の縁─

最近大学史資料センターに、大学周辺の神田界隈の街が写り込んだ古写真がないか、というお問い合わせをいただくことが増えてきました。
これまで街の古写真を探すというと、①地域の資料館や図書館の郷土資料コーナーに問い合わせる、②古写真の出ている当時の雑誌や絵葉書を探す、③古写真を持っている研究者に照会する、といったことが考えられました。
もちろんそれ以前に、④古写真をググる(Googleで該当する古写真がヒットしないか検索してみる)というのも当たり前になってきましたが……。
さらに⑤地域に所在していて昔からあるランドマーク的な施設に問い合わせる、という新たな照会手段が生まれてきたようです。

幸いなことに、この新しいご質問には比較的お応えができています。
大学史資料センターには、1881(明治14)年の明治大学創立以来の写真が多数保管されています。大部分は大学施設と関係者に関する写真なのですが、学生が大学周辺に出かけて、往時の街の姿を残した写真や、仲間と娯楽に興じるようすなどを収めた写真を見出すこともできます(明治期の街の写真は少なく、その多くは関東大震災以降の写真です)。

明治大正期の神田界隈には多数の下宿屋があり、学生の多くは神田の街のなかで、学校での勉強はもとより、衣食住にまつわる生活全般を完結させる暮らしを送っていました。往時の神田は昼夜問わず学生が闊歩し、学びながら街に暮らしを支えてもらっていた濃密な「学生街」だったのです。
大学史資料センターに残された写真から、街と大学との長く深い縁の一端が窺えます。

写真01_1921‐法_小春日のニコライ
ニコライ堂と学生(1921・大正10)

関東大震災で被災する前のニコライ堂は、現在と上部ドーム及び鐘楼のデザインが異なっています。

⑥1934_帝都の展望 (5)_神保町
神保町すずらん通り(1934・昭和9)

街灯はすずらんをイメージしてデザインされています。

村松玄太(むらまつ げんた/大学史担当)