学芸研究室から(第4回)【大学史】明治大学中興の祖・鵜澤總明
大学史資料センターでは、本学創立140周年記念事業の一環として、鵜澤總明(うざわ・ふさあき)の事績を紹介する『鵜澤總明と明治大学』の刊行、大学史展示室内に鵜澤コーナーの新設、鵜澤文庫の公開を始めました。
鵜澤は1872年、現在の千葉県茂原市に生まれ、1890年に上京し1900年に東京帝国大学を卒業し、さらに大学院に進みました。
1908年に『法律と道徳との関係』で法学博士の学位を授与されています。
東京帝国大学卒業後は弁護士として活動し、日比谷焼打ち事件、大逆事件、帝人事件、相沢中佐事件、そして極東国際軍事裁判と、日本史の教科書に出てくるような著名な裁判でも弁護人を務めています。
1901年から明治大学の前身である明治法律学校で教鞭を執りはじめると、1912年創立の付属明治中学校初代校長(1946年まで)、旧制明治大学初代法学部長(1920~1921年)などを歴任し、1934年には総長に就任しました(1938年まで)。総長については、さらに1943~1946年、1949~1955年にも選出され、現職のまま亡くなっています。
最初の総長就任は和泉キャンパス竣工の年、2回目はいわゆる学徒出陣の直前、3回目は新制大学発足時と、明治大学史の重要な場面で学園を率いるリーダーを務めていました。
創立者亡き後の、大正・昭和戦前・昭和戦後復興期に、長く明治大学のリーダーであった経歴から鵜澤を「中興の祖」と評することもあります。
大学史展示室の鵜澤展示をご覧いただくとともに、明治大学駿河台キャンパスに建つ鵜澤總明胸像もあわせてご覧いただけましたら幸いです。
阿部裕樹(あべ ゆうき/大学史担当)