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学芸研究室から(第10回)【大学史】文学部90周年と初代学部長・尾佐竹猛

本年(2022年)は、文学部の前身である専門部文科の再興から90周年にあたります。文学部は、1904(明治37)年の学則改正で設置されましたが、思うように学生が集まらず、すぐに学生募集停止となりました。しかし、大正時代末から昭和戦前期にかけて総合大学化を推進していた明治大学は、専門部の一科として文科再興を決定しました。そして、尾佐竹猛(おさたけ・たけき)を今日の学部長に相当する初代専門部長に任命しました。

尾佐竹猛
文科復活趣意書(1931年12月)

尾佐竹は、1880(明治13)年に現在の石川県羽咋郡に生まれました。1896(明治29)年に明治法律学校に入学すると、最終学年である3年次に首席となるなど、きわめて優秀な成績を収めました。1900(明治33)年の判事検事登用試験に合格し法曹としてのキャリアをスタートし、1924(大正13)年には大審院判事まで昇りつめました。一方で、1926(大正15)年に吉野作造らと創立した明治文化研究会での活動や、1928(昭和3)年に「維新前後における立憲思想」で東京帝国大学から法学博士の学位を取得するなど、研究者としても不朽の業績を遺しました。さらに、尾佐竹は卒業後も明治大学との関係を保ちました。卒業直後から校友会の活動に参加し、1924年に明治大学商議員(現在の評議員に相当する)を委嘱され、1929(昭和4)年からは明治大学法学部で教鞭を執り、専門部文科では明治維新史などを担当しました。このように、尾佐竹は大学経営・教育の両面で活躍したといえます。ちなみに、1931(昭和6)年の明治大学創立50周年記念講演会では「明治法律学校創立の時」と題した講演をしていますから、今日の大学史資料センターの業務分野でも足跡を遺しています。

創立50周年記念講演会で「明治法律学校創立の時」を講演

2003(平成15)年に発足した大学史資料センターでは、これまで多くの共同研究を進めてきました。そのうち人物研究として最初に取り上げたのが尾佐竹でした。2005(平成17)年から翌年にかけて全24巻の『尾佐竹猛著作集』(ゆまに書房)を刊行し、2007年には論文集である『尾佐竹猛研究』(日本経済評論社)を発表しています。大学史展示室の校友紹介コーナーでも、尾佐竹を紹介するパネルを展示しています。

大学史資料センター編『尾佐竹猛研究』(日本経済評論社、2007年)

最後に、尾佐竹が明治大学博物館の歴史にも関わっていたことを紹介します。博物館の起源は、1928年に刑事博物館設立準備委員9名を中心に始まった十手・突棒・刺又などの資料収集でした。尾佐竹は同委員のひとりとして活動し、前記した1931年の創立50周年の際には展覧会部部長として「刑事展覧会」を開催しています。

阿部裕樹(あべ ゆうき/大学史担当)

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