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学芸研究室から(第8回)【大学史】大学史からみた感染症パンデミックの謎─100年前のスペインかぜ流行時の明治大学

2020年から猛威をふるう新型コロナウイルス感染症。まだまだ予断を許さない状況です。その流行初期段階において、100年前の「スペインかぜ」の経験が教訓として着目されました。
スペインかぜは1918年から1920年にかけて全世界に流行したインフルエンザの一種で、世界中で5億人以上が感染し、死者が1億人近く出たと推定されています。日本でも3年間で2000万人以上が感染し、40万人近くが亡くなりました。日本では、全国各地の小学校で休校措置や各種イベント中止措置が取られ、マスク着用・うがい手洗いの推奨など、現在と同じ感染予防策が推奨されたことが知られます。

あれだけのパンデミック、当時の明治大学でもしかるべき対策を取っただろう、と思っていました。ところが結論から申し上げますと、当時の学内記録をみても、スペインかぜに関する記録がまったく残っていないのです。
大学の授業はもとより運動部の試合など課外活動にも、何らの影響もうかがえません。それどころかたくさんの人を集めてイベントをしています。
たとえば、第一次大戦が1918年11月に終結したことを受けて、その終結祝賀会を、1000人を超える参加者を集めて開催しています(第一次大戦終結の一つの理由にスペインかぜパンデミックがあったとも言われるのですが……)。

この頃の日本の大学は改革期で、むしろ諸活動は活発です。明治大学をはじめとする私立大学の一部が正規大学としての認可を受けたのは1920年のことでした。その数年前から明治大学はじめ私立大学の学生、卒業生、教職員など構成員は、全精力を傾注して、大学認可に向けた要件達成に向け、各種事業と大規模な集会などを頻繁に開催しています。いまなお愛唱される明治大学校歌は、大学認可への祝意も込めて1920年10月に制定されました。ついでにいいますと、大学の入学時期が9月から4月になったのは1918年です。これら一連の動きは1918年のスペインかぜ第1波、1919年の第2波、1920年の第3波とぴったり一致しています。この時期大学全体が活発に揺れ動いているさなかで、スペインかぜパンデミックの様子が全くうかがえないのですね。

一人無神経に明治大学が通常運転だったのか、というとそうではありません。罹患者が多数出て休校措置をとった一部の官立教育機関(京都大学など)を除いては、ほとんどの大学は、とりたててスペインかぜに目立った対応をしなかったようです。
なぜなのでしょうか。考えてみたのですがよくわかりません。通年で感染が生じている今回のコロナ禍と異なり、スペインかぜは比較的冬季に流行しており、大学の授業が休みになる時期なのであまり影響がなかったことも関係するのかもしれません。
今後日本の流行時期の検討、他大学の事例との比較精査、小学校などと比較した場合の大学への予防行政上の指導がどうだったのかも調べないといけませんが、なんにせよまだよくわかりません。

横田秀雄博士による講義風景(1919年)密ですね…

村松玄太(むらまつ げんた/大学史担当)

【参考】
日本におけるスペインかぜの精密分析(東京都健康安全研究センター)