学芸研究室から(第15回)【大学史】神田学生街のなかの明治大学駿河台キャンパス
東京都千代田区神田駿河台1―1。これは駿河台キャンパスの住所です。千代田区には、このような「神田○○」という町名が他にもあります。このような神田を冠する町名は、ほぼ1878(明治11)年に成立した東京15区のひとつである旧神田区域に相当します(一部に神田を冠しない旧区域あり)。この旧神田区は、しばしば「学生街」といわれます。
江戸時代の旧神田区域には武家地と町人地が混在していましたが、明治時代になると旧武家地に、官立・私立の諸学校が相次いで開校しました。まず開成学校(東京大学の源流のひとつ)、学習院(現学習院大学)といった官立学校が設置され、続いて明治法律学校(現明治大学)、英吉利法律学校(現中央大学)、専修学校(現専修大学)、東京法学社(現法政大学)、日本法律学校(現日本大学)などの法学系私学が開校、あるいは他地域から移転してきました。
1877(明治10)年の東京大学設置(本郷区)、1921(大正10)年の法政大学の市ヶ谷キャンパス移転、1978(昭和53)年の中央大学文系学部の多摩キャンパス移転など、旧神田区を離れた学校もありますが、明治大学・専修大学・日本大学は現在でもキャンパスを構えています。
旧神田区は、1892(明治25)年の神田大火、1923(大正12)年の関東大震災、1945(昭和20)年の東京大空襲などにより大きく景観を変えました。もちろん、時代とともに建物の規模や様式も変わっています。写真①は関東大震災直前の駿河台キャンパスです。現在のリバティタワーの場所です。写真➁は1953(昭和28)年の駿河台キャンパスです。他の写真と異なり、南西(神保町方面)から撮られています。写真③は1958(昭和33)年の駿河台キャンパスです。左が旧記念館(1928年竣工、現在のリバティタワーの場所)、右の白い校舎は大学院棟(1954年竣工、おおよそ現在のアカデミーコモン前広場の場所)です。写真④は2004(平成16)年の駿河台キャンパスです。これらの写真を見比べるだけでも、駿河台キャンパスおよび周辺の建物や環境の変化がわかります。
阿部裕樹(あべ ゆうき/大学史担当)