学芸研究室から(第14回)【考古】洋風瓦のさきがけ・ジェラール瓦
日本初の本格的な西洋瓦である「ジェラール瓦」が、当館で所蔵している個人の瓦コレクションとしては国内屈指である前場幸治(ぜんばゆきじ、1933-2011)氏の寄贈資料に含まれています。オレンジ色に焼き上げられているものが多いため、一見薄い板状のレンガのようにも見えますが、日本で初めて蒸気を利用した機械により大量生産された瓦であり、実は日本の機械工業の黎明期を物語る資料なのです。
瓦と言えば、神社やお寺の屋根に載っている灰色の和瓦を思い浮かべる方が多いかと思います。最近は屋根瓦のない住宅も多くなったため目にする機会が少なくなってきましたが、日本では6世紀に朝鮮半島から伝わって以来、多くの建物に屋根の上部から下端まで直線状に重ねた丸瓦と平瓦を交互に葺(ふ)く和瓦が使用されてきました。
一方で、ヨーロッパでは主に3種類の瓦が用いられ、そのうちドイツや中・東欧でよくみられる「フラット型」に分類される形状の瓦を日本ではフランス式瓦と呼んでいます。このタイプの瓦は、屋根の主要部には平瓦1種類のみ(屋根の頂部は棟瓦等を使用)を使い、横方向は平行に、縦方向は互い違いに組み合わせるという、いわゆる「千鳥状」に葺く点が和瓦と大きく異なります。瓦自体が薄く軽量で、角度を調整することで様々な形状の屋根に対応が可能という利点があります。明治期の地震でも、和瓦は落ちたがフランス式瓦は無事だったという記録が残っています。
明治初期のフランス人実業家アルフレッド・ジェラールは、明治6(1873)年、横浜(現在の横浜市中区元町公園プールの場所)に蒸気機関を用いた近代的な西洋瓦工場を建ててこのタイプの瓦を生産し販売を行いました。これらの瓦は、裏面に「ALFRED GERARD」や「YOKOHAMA」といった銘が刻まれていることから、「ジェラール瓦」と呼ばれています。重要なのは製造年も記されている点で、製造年の新古に対応し、形状の変化を追うことができるのです。この裏面の銘が大きな手がかりとなり、岡本東三氏らの研究によってⅠ→Ⅲ型への形状の変遷と1889年頃に生産を終えたことが判明しています。
1876年製のⅠE型(写真①)は、縦が短く、表面中央の分流帯(屋根に落ちた雨水を流しやすくするための中央の突起)がアイスクリームを上下逆にしたような形状という特徴をよく示しています。1878年製のⅡ型(写真②)は、Ⅰ型のような黒灰色のほかにオレンジ(茶)色の製品(写真③)も作られました。分流帯はスペード形を上下反転して合わせたような流線形で、裏面の連続菱形文とあわせ、洗練されたデザインになっています。銘文の「TUILERIE MECANIQUE」(写真④)は「機械式瓦製造所」を意味し、当時日本国内に次々現れた模倣品との差別化をはかっていたと思われます。
また、関連資料として三州瓦の産地として著名な愛知県高浜市に大正期に設立された日本洋瓦社で生産されたフランス式瓦(写真⑤、青木祐介氏のご教示による)のほか、20世紀の製品とみられるインドとベトナムの平瓦があります。これらは以前の調査ではヨーロッパ製と考えられていましたが、再度裏面の刻印を調べたところ、前者は1865年にインドにつくられたバーゼルミッションタイル工場製(写真⑥)、後者はベトナム中部のクアンビン製であることがわかり、アジアに広がったフランス式瓦のバリエーションをうかがい知ることができます。
さて、では日本のジェラール瓦は今も使われているのでしょうか。都内では、かつて霞が関の工部大学校や白金の明治学院大学記念講堂などで使用されていましたが、残念ながら現存する建物はありません。建て替えに伴い瓦も廃棄されてしまうことが多く、ジェラール瓦は西洋瓦のはしりとして知られていますが、所蔵機関は当館を含め国内で10カ所程しかありません。日本の西洋瓦と機械工業生産の歴史を物語る資料ですが、稀少な存在となっているのです。
忽那敬三(くつな けいぞう/考古部門担当)
【主要参考文献】
・遠藤瞳子 2022「日本近代化の遺産、ジェラール瓦」『MUSEUM EYES』Vol.78 明治大学博物館
・岡本東三 2002「開港横浜で生まれた仏蘭西瓦-ジェラール瓦を叩いてみ れば、文明開化の音がする-」『横浜市歴史博物館紀要』VOL.6 横浜市歴史博物館