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学芸研究室から(第13回)【大学史】さよなら明治大学和泉第二校舎!そして和泉ラーニングスクエアへ!

懐かしい学び舎が、新しい建物にその役割をバトンタッチします。
和泉第二校舎は1960年の竣工から50年以上にわたり、学び・課外活動の用に供され、学生・卒業生・教職員の思い出に強く刻み込まれています。

設計者の堀口捨己(1895-1984 建築家。明治大学工学部長等歴任)は、当時の学生数の急増に対応するため、階段大教室8室で構成され、総収容数3800名に及ぶ大校舎をデザインしました。同校舎の際立った意匠が、教室を取り巻くように張り巡らされたスロープです。授業終了後の学生の人流をスムーズにするため、堀口が考案したものです。
堀口は同校舎のような建物には「現代の大量な学生のための教育施設として、好むと好まざるとにかかわらず、特殊性」が生じざるを得ない、と述べています(堀口「明治大学和泉第二校舎の設計について」)。同校舎の大教室・スロープといった「特殊性」は、高度経済成長期の日本のマスプロ教育を象徴する〈鏡〉でもありました。

和泉第二校舎竣工から50年あまり。日本の大学教育は大きく変化し、少人数・双方向教育に向け大きく舵を切りました。高度経済成長期の大学教育を反映した「特殊性」を備えた同校舎は、老朽化ともあいまって、その役割を卒える時を迎え2022年度中に取り壊し予定です。

2022年3月竣工の新校舎・和泉ラーニングスクエアは、堀口捨己設計の精神と記憶を継承し、その学修環境を現代的に再解釈した建物です。同校舎には屋外通路の回遊性を残しつつ、「ラーニングサポートベース」「グループボックス」「プレゼンテーションラウンジ」「カイダン教室」など交流や対話をベースとした学びのイノベーションを起こす工夫が凝らされています。
一方で和泉第二校舎のレガシー継承も図っています。
明治大学史資料センターでは、和泉第二校舎の3D点群データ取得、テクスチャー写真撮影、ドローン空撮、建築写真撮影、一部図面スキャン等を実施し、日本の戦後大学教育を象徴する建築物として、可能な限り記録を残しました。こうしたデータも活用しながら和泉第二校舎の〈遺産〉を発信し続けていってほしいと思います。

写真②補足:堀口は校舎の周辺に緑を配し、校舎を緑と融和させるとともに、
学生が緑により安らぎを得られるように配慮をした。
伝統と近代の融和を提唱した堀口の設計思想に沿った方策といえる。

村松玄太(むらまつ げんた/大学史担当 ※2022年4月19日まで)


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