学芸研究室から(第3回)【考古】佐賀県桜馬場(さくらのばば)遺跡の甕
「甕棺」は、弥生時代の北部九州で盛んに使われた土製の棺であり、有名な佐賀県吉野ヶ里遺跡や福岡県立岩遺跡をはじめ、九州の王墓級の墓の棺にも用いられています。写真1のように甕の形をしたものが代表的ですが、写真2のように壷形に作り、上部を打ち欠いて使っている例もあります。
甕棺は教科書や副読本の弥生時代の項でよく写真が掲載されているのでご存知の方も多いと思いますが、九州以外では展示で目にする機会がなかなかありません。実物の甕棺を目の前にしたとき、まず驚かされるのはその大きさです。第2号甕棺は高さ57㎝(写真2)と70㎝の2個体を合わせ口にしていました(写真3)。膝を曲げれば、成人が十分入る大きさです。また、第1号甕棺は高さ99㎝、口径は72㎝にも達します。第2号甕棺はそれぞれ1個ずつならば何とか大人1人で持ち上げられますが、第1号甕棺は2人以上でないと困難です。
これほど巨大で重量がありながら胴部の厚さは1㎝~2㎝程度であり、さらに表面はハケと呼ばれる櫛目状の筋がつく工具や板を使って極めて丁寧に仕上げられています。現代でも、これほど大きなやきものを製作することは簡単なことではありません。当時の高度な製作技術と、そこまでして土製の棺にこだわった弥生時代の人々の甕棺に対する思いの深さを実感することができます。
桜馬場遺跡は、『魏志倭人伝』に登場する「末盧(まつろ)国」の王墓のものと目される甕棺が出土した遺跡として知られています。第2号甕棺はその周辺から出土しており、時期的にも近いことから関係する人物の墓である可能性もあります。
忽那敬三(くつな けいぞう/博物館考古部門学芸員)