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【座談会】神田学生街に商う⑤

卒業後の進路・活動

──卒業から現在のお仕事やご商売、ご活動についておきかせ願います。

石澤 私は本当は、自動車の仕事をしたいと思っていました。ただ長男ですからね。私たちの時代長男というと、家業を継ぐのが当たり前みたいな感じになっていました。
 その頃「石澤眼鏡新宿店」がオープンし責任をもってやってくれる人がいないということで、最初はアルバイトみたいなかたちで新宿の店の手伝いから始まり、その延長で跡を継ぐことになりました。

いったん商売をやりはじめたら目標を持つものです。売上でも一〇〇万円あったら一〇〇万円を一五〇万にしようとか二〇〇万円にしようと考える。そして「目標を達成したら仕事を継ぐのをやめようかな」なんて思ってたんですが、そのまま跡を継ぎました。私の息子も跡を継いでくれますし、四代目の孫もおります。今後は店舗数を増やすことよりも、昔のままの経営理念である「信頼・信用・親切・丁寧さ」をモットーに人と人とのつながりを大事にし、孫・曾孫、その後の世代へと私の父から受け継いだこの商売を守り続けていってくれたらなと願っています。

纐纈 大学まで自宅からの通学が続きました。ちょっと窮屈な感じがしていて、自由が欲しいと思っていました。中学の時から父の仕事を継ぐというのは覚悟していましたが、大学を出ていきなり継ぐのは少し抵抗がありました。
 それで関西の古書店で一年間、志願して働きました。他人の家のご飯を食べて、その間に一人で熱出して寝込んだりして、いまから考えるといろいろ経験をうまく積んだのかなと。わずか一年ですけども、それなりに良かったと思っております。

──仕事を継がれる前に修行に行かれたんですね。

纐纈 そうです。この界隈で、東京から関西の古書店に働きに出たのは私一人のようですね。関西から東京へ来てる人はいっぱいいますけども。預かってくれた古書店では、三ヵ月だけという約束でしたが、お願いして結局一年間居続けました。

稲垣 私は学生時代に宅地建物取引士の資格を取り、卒業直前の誕生日に自分の不動産管理会社をつくりました。四月になって父から「お前の会社は存続していいから、(父の)不動産会社も手伝え」ということで、現在も二つの会社の社長になっています。

明治大学との関わりでいうと、私は卒業後もローバースカウト部と明治大学体育会に関係しています。大学を卒業した一年目にローバースカウト部のコーチへの就任要請があり、助監督、その後監督として一三年続けました。現在もローバースカウト部の第二隊隊長として、現役学生八〇数名と活動しています。

 夏合宿は北海道や東北の内部からノサップ岬や津軽半島の最先端をゴールとして一〇〇キロメートルを超える距離を毎日キャンプをして歩きました。30kgを超えるリックと移動距離で一年生は足に豆をつくり、痛そうにペンギンのような足取りでゴールし、全学年で海に向かって校歌を大声で歌いました。感激で皆涙を流していました。この夜ボーイスカウトの「ちかい」「おきて」をとなえて正式な部員になります。

 ローバースカウト部として、いろいろな奉仕活動をしましたが、とくに思い出深いのは、監督時代に阪神淡路大震災の際に、学生とともに神戸長田区の区民への配送センターに行き、部員は四月の授業がはじまるまで、四三日間にわたってボランティアをしたことが思い出されます。帰京後、青島東京都知事や木村千代田区長に、活動内容や現地で感じたことを報告しました。
 そして、区長や関係部長の方々と防災について話し合い、翌年から現在まで続いている千代田区総合防災訓練を実施することになったのです。現在も部員とともに各地の地震の被災地に奉仕活動に行っています。

 野球部が優勝すると、かつては神宮球場から大学まで靖国通りを通ってパレードをしていましたが、大勢の学生とローバースカウトの部員とともに、ゴミ袋を持って最後尾でゴミを拾って大学まで歩きました。

また、明治大学の体育会各部のOB組織である駿台体育会の常任理事を務めており、各部や体育会の思いをまとめて大学側にお願いをしたりしております。

──ご商売のことから大学との関わりまで多様な部分でのご紹介ありがとうございます。

校條 卒業後、いまの仕事の前に、当時駿河台にあった芸文社という出版社で編集をしていました。その時代の仕事で忘れられないのが、ラグビー好きが嵩じて北島忠治先生の追悼本『遥かなるノーサイド―追悼・北島忠治監督』(芸文社、一九九六年)を編集したことです。もともと北島先生がご存命のときに企画して編集を進めていたのですが、編集の最中に北島先生が亡くなられてしまい、急遽追悼本という形にしました。
 この本の編集にあたっては、当時明治大学の学長でラグビー部長も長く務めた岡野加穂留先生に相談に乗っていただきました。「いつでも学長室に来なさい」とおっしゃっていたので、ズカズカと学長室に行って、岡野先生から多くのラグビー関係者を紹介していただきました。

そのときに、明治大学のスポーツを代表する人物ということで、星野仙一さん会いたさにインタビューをお願いしました。星野さんは依頼を快諾してくださり、北島先生と並び称される野球部の島岡吉郎監督と比較しながら、それぞれの”オヤジ”のものの見方について語ってくださいました。大変思い出深い仕事でした。

その後星野さんとは、私は「われらマスコミドラゴンズ会」の事務局長をやっていたので、お目にかかる機会があり、いろんな媒体で星野さんの企画をつくって、三回ぐらい沖縄キャンプで取材したりしました。

そういったことを考えると明治大学・六大学野球・ラグビー・中日ドラゴンズと、全部がつながって編集の仕事ができるのは本当に嬉しいことだと改めて思いました。神田神保町のガイドブックはこれからも携わっていきますし、もうひと踏ん張り紙の媒体にこだわって本づくりをしようかなと思っております。

──北島監督の追悼本、内容が濃いですよね。校條さんが編集されたとは知りませんでした。

纐纈 岡野先生の前のラグビー部長だった蒲生正男先生は、私が社会学研究部にいたときに部長としてご指導を受けた先生です。蒲生先生はこの界隈の「タイガー記章」さんがご実家です。先生に「君はどこの小学校出身だ?」と聞かれたので「錦華小学校です」と答えると、「僕はあそこの家の蒲生っていうんだ」って話になりましてね。

──纐纈さんの社会学研究会の後輩である鈴木宏昌さん(神西町会長 神保町地区連合町会長 「神田学生街に暮らす」参照)も同じことをおっしゃっていました。

船曵 私は卒業してから住友生命に就職しました。いわゆる大企業で、その中で大学とのつながりってあるのかなって思ったら、びっくりするくらいつながる仕事がありました。その代表的な一つが新卒採用の面接官です。私の会社では卒業生が面接を担当するんですね。七年間働いたうちの四年間は毎年新卒採用の面接官を担当していました。

毎年二〇〇人くらいの明治大学の学生さんと面接をする機会があったので、その時も大学と関われて嬉しいな、と思っていました。ただ、就職活動の本質を理解して活動している学生がほんの一握りなんだなと感じたのが正直なところで、その経験を踏まえて、いまなにか力になれないかなと感じているところです。

その後住友生命を退職し、「大和屋履物店」の跡継ぎになりました。最近、明治大学や専修大学の学生たちが取材などで来てくださるんですね。そのことは、我々のようなファミリービジネスにとっては非常に大きなことです。お店を知ってもらえるきっかけになりますし、お店が魅力的であれば学生さんが働きたいと思ってもらえる可能性もあるわけです。我々のような小さなお店にとっては採用広告を出すことはできないので、そういう意味も含めて我々の仕事に大学や学生が関心を持ってくださるのはすごく大きなメリットがあると思っています。

今後、大学の就活キャリア支援センターにも協力して、後輩の学生のためにできることがあればいいなと思います。

──この界隈に、若い世代の方で暮らし、仕事をされている方が減りつつあるので、私たちとしても大変心強いと思っております。今後ともご支援をお願いいたします。

 

成長を続けるために─これからの街と大学に望むこと

──世代ごとにいろいろとお話を伺ってきました。それぞれの世代でこの街の様子を定点観測してこられたお立場として、街の移り変わりについて踏まえながら、これからの大学と街がともに成長を続けるためにどんなことが必要なのか、お話しいただきたいと思います。

石澤 先程も申し上げましたが、かつては学生さんとのつながりが密で、これからもその様な関係を本当に大切にしていきたいと思います。

私はかつて、駿河台西町会会長と神保町地区町会連合会会長の職を務めさせていただき、そして現在は太田姫稲荷神社の総代として、明治大学に大変お世話になっております。この界隈は太田姫稲荷神社の氏子で、例大祭にあたっては明治大学から寄付をいただき、神輿の担ぎ手の学生さんにも参加してもらっております。お祭り以外にも町会の活動はございますので、学生さんたちにはぜひ参加して頂き、これからもますます大学との結びつきが深まっていければいいなと思います。
 新しいこと、変化も大切ですが、古き良き時代を振り返りそのアイデアを再び取り入れながら地元住民と大学、そしてその学生たちとより良い神田を守っていきたいものです。学生たちが一〇年後二〇年後、神田を”第二の故郷”のように懐かしく思っていただけるような、そういった橋渡しを街と大学でしていけたらと思います。

纐纈 街とのつながりっていうのは当然必要だとは思いますが、なかなか接点が見つけにくくなっているのかなあと思いますね。まずは明治大学と地続きの町会との関係をより強くしていくということですね。

また研究目的でうちの店に来られている先生方はおられますが、地域に関係するつながりをそこから見出すのはなかなか難しい。そのあたりは大学の職員の皆さんに積極的に動いていただくといいですね。専修大学の職員の方はそのあたりかなり機敏に動いておられます。私が若いときはつながりをあえて意識することはなかったけれども、これからはそこを意識していく必要があるんでしょうね。野球の優勝パレード一つとってみても、地域との関係が出てきます。大学と街の人間が関係しあうことがこれからの地域の発展に寄与すると思います。

稲垣 かつて明治大学は、セクトがバリケードを築いてアジ看板が多く立っていたんですよね。街の住人としてもあまり心地のよくない感じがしていましたが、大学がさまざまな関係者と協力してその撤去を行い、きれいなリバティタワー前の広場ができました。わたしも撤去までの経緯は若干知るところもあるのですが、さまざまな明治大学の関係者が協力して実現したことで、いわば明治大学の底力・結束力を感じました。あまり知られていませんが、危険と隣り合わせだったその時の苦労は大変だったと思います。

大学と商店会の付き合いについて申し上げますと、明治大学は靖国通り商店街連合会の特別会員として、新年会などの行事には必ずご出席いただいています。その場で大学の現状ですとか新学部が今度できますよとか、そういうアナウンスをして地元との交流を図っていただいています。
 また、以前に連合会のイベントで「開運富くじ大興行」を行ったとき、明治大学からはめいじろうのキャラクターグッズや各学部からの記念品などを一〇〇点以上ご提供いただいて、イベント参加者に喜ばれました。グッズをもらった方は「明治大学はこんなにいい物を提供してくれたんだ」とびっくりしていました。

現在、靖国通り商店街連合会のホームページのイベント紹介ページでは、専修大学の学生にお手伝いをお願いしております。明治大学には、大学の職員、そして学内のボランティア団体の方などに、街のお祭りや子供会にもお手伝いに来ていただいています。今後とも大学、学生、商店街、町会が連携して地域の活性化につながればと思っています。

校條 私の会社は「本の街・神保町を元気にする会」に加入しています。この会は神保町を活気ある街にすることを一つの目的とする集まりです。その集まりで、専修大学や共立女子大学は積極的に地域連携をやっているけれど、明治大学の動きが鈍いのではないか、という話を耳にすることもあります。大学からどんどん地域と一緒になにかやることを仕掛けていってもいいのかなと思います。個別には情報コミュニケーション学部島田剛ゼミナールの「コーヒープロジェクト」、政治経済学部大森正之ゼミナールの「明大エコハニー」など、ゼミ単位で地域と一緒に取り組みを進めているところもあります。それを包括して明治大学全体の大きいまとまりとして、地域に貢献をするといいな、と思いますね。逆に地域の側から大学にお願いすることがあってもいい。最近そういう芽が見えつつある気がしています。「神保町を元気にする会」が一緒にやれることがあったらぜひ協力していきたいと思います。

──いまお話のありましたこれらのゼミの開発商品を、コラボメニューとして明治大学の「カフェパンセ」(明治大学アカデミーコモン1階)で出しています。こういったことが街と大学がより強固に結びつくきっかけの一つになればと思います。

船曵 大学はもっと街のお店と連携というか、頼っていただいたら嬉しく思います。「大和屋」は小さな店ですが、大きい店とは逆に、柔軟性が高いということです。たとえば商学部などのゼミナールの研究で一緒にリアルな商いを経験してもらう場として、私の店良ければ提供させてもらいます。そしてゼミを通じて伝統工芸における課題を一緒に学びながら、どんなイベントをしたらいいか企画して、じゃあ実際に大和屋でお店やってみましょう、そしてこんな結果になりました、といったこともやってみれば、学びのきっかけになるかなと思います。先ほど校條さんのお話にあった島田ゼミや大森ゼミの学生が、今日の座談会に出かける前、店の開店と同時に顔を出してくれました。学生の皆さんが「こうやってふらっと立ち寄れるお店があると嬉しいですね」と言ってくれます。

こういうことが、学生たちが街に繰り出すきっかけづくりになっていくと、楽しいかなと思います。専修大学は地域連携に積極的だという話がありましたが、私が二〇二一年五月にこの街で働きはじめてすぐに声をかけてくださったのは専修大学でした。「母校はまだかな」と心待ちにしていたので、もっと積極的な関わりが持てたらいいなと思います。

──私たちも、街と関わるこうした取り組みをと通して、学部やゼミナールの垣根を超えて学生たちが仲良くなってきたという話も聞きます。ゼミが点でやっていた活動をつないでいって、大学として街の皆様と関わっていくきっかけになればと思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。長時間にわたりましてありがとうございます。

(了)

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めいじろうと記念撮影

2022年1月13日明治大学博物館で実施