【座談会】神田学生街に暮らす⑤
大学時代の学びと余暇
──サークルは何かされていましたか。
大山 マスコミ研究会というのをやっていました。大学でやっている基礎マスコミ研究会とは違うものです。マスメディアという言葉ができたころですよね。
私の二年くらい先輩が作った研究会で、マスメディアとはどういうものかというところから、南博先生の本をみんなで読んだりして勉強しました。テキストは今でも記念に持っています。
──ありがとうございます。渡邉さんお願いいたします。
渡邉 大学に入って、マンドリン倶楽部の部活中心の生活でしたね。授業の代返も友達に出席カードを渡して、そこに自分の名前を書いて友達に渡して、私が夜マンドリンのステージに出たり、なんていうこともしていましたね。
ちょうど私が一年生の時に古賀政男先生が宝塚劇場で還暦を祝う会をされて、いろいろな歌手の方々がみえました。当時常任指揮者をされていたのは清水保雄さん(作曲家)です。
──それぞれの学生時代についてお伺いしましたが、この界隈で学生時代に通われていたお店などご紹介いただけますでしょうか。
鈴木 よくいっていたところというと「徳萬殿」かな。
──大盛りチャーハンが有名だった中華屋さんですね。閉店されましたね。
鈴木 「ランチョン」さんの裏にあったラーメン屋の「日月」とか、今も駿河台下と御茶ノ水にあるけど「キッチンカロリー」さんとかね。
大山 あと「アミ」。最初の頃とだいぶ変わりましたね。
渡邉 最後は居酒屋になっちゃいましたよね。
鈴木 昔の「アミ」のバナナジュースうまかったね。
大山 ただ結構安く飲ませてくれたので、二次会ではあそこにいきましたよね。
鈴木 さんざん行ったなあ。
大山 二階建てだったのが建て替えて三階建てになって。
渡邊 建て替える前の「アミ」は一階に白いグランドピアノがありましたね。
大山 そうなのよね。
渡邊 そこでシャンソンを歌ってたんですよね。小学校の時外からみていて、一度入ってみたいなと思って。
──アミのオーナーはシャンソン歌手の寄立薫さんだったんですよね。
渡邊 そうですね。今も活躍しているシャンソン歌手のしますえよしおさんはアミで歌っていたこともあります。
鈴木 今は学生が集う喫茶店なんてないよね。昔の喫茶店の「ハトヤ」、ちょっと気取ったところだと「ウィーン」や、「田園」とかさんざん行ったなあ。
大山 「ハトヤ」、懐かしい。
渡邊 「ハトヤ」の隣に「ピッコロ」っていうお店もありましたね。
──「五城」っていうお店もありましたね。
鈴木 そこももう何年か前にやめちゃったね。居酒屋の「神田っ子」の隣にあったね。「神田っ子」ももうないしね。