【座談会】神田学生街に暮らす③
大学入学まで
──鈴木さん、渡邉さんは錦華小学校から明治大学附属明治中学校へ進学されます。明治中学に進学されるのは、この界隈にお住いの方ですと割合多かった印象でしょうか。
鈴木 このあたりだと公立なら千代田区立一橋中学校(現神田一橋中学校)に行きますけれども、女性は私立にいく子が多かったですね。共立、大妻、跡見、あと山脇なんて行ったね。男性は明治がやはり多かったですね。
うちの店は女子学生のサロンのようになっていました。神保町駅が開業していなかった頃は(神保町駅の開業は1972年)、共立の子が水道橋まで歩く。いつのまにか大妻も、神田女学園も、和洋九段も一橋も桜蔭の生徒も集まる、という具合でした。ただとにかく共立の生徒が多かった。なんだか女子生徒の間で有名になっちゃってね。
──中学校へは女性は様々な学校がありますが、男性だと公立なら一橋、私立なら明治が多かったということですね。
鈴木 私のクラスメートで錦華小学校から明治中学校に来たのが六人でした。私の場合は父親が、10号館に建て替える前の建物によく出前に行っていて、そこで明治の職員とやり取りしているうちに、息子を明治に行かせる気になったようです。
──当時は錦華小学校のクラス数はどのくらいあったんですか。
鈴木 四クラスしかない。
──さすがにこの界隈の学校はクラス数が少ないですね。
渡邉 私の場合は、卒業する時は区立の一橋に入るものだと思ってたんですけど、結局、当時アミの前にあった忍塾という塾に通いながら、受験をして明治中学校に入りました。
明治中学の二年から友達に誘われてマンドリン部に入りました。マンドリンがどういうものかわからないし、音楽のテストだっていいわけじゃないけど入って大学もマンドリン倶楽部に入って続けました。久保田孝さん(指揮者・クボタ・フィロマンドリーネン・オルケスター主宰)は3年先輩です。
鈴木 私は書道部に在籍していたことがあります。高木先生という書家の先生に習っていましたね。
渡邉 私も習いました。いろいろな先生がいましたね。
渡邉 それで明治中学校の二年から友達の一言でマンドリン倶楽部に入ることになりまして、マンドリンがどういうものかわかんないし、音楽のテストだっていいわけじゃないけどマンドリン倶楽部に入りました。それ以来マンドリンを継続しております。