街がキャンパス!神田学生街で学ぶ①ー明治大学小林尚朗ゼミナール・大森正之ゼミナール・島田剛ゼミナールの取組みから
神田学生街を「キャンパス」として、SDGs達成に向けたさまざまな取り組み行っておられる明治大学の先生方とそのゼミ学生のみなさんにお話を伺います。
各ゼミナールの取組みについては展示会「神田学生街 140年の今⇔昔」
(2月3日から4月10日 明治大学博物館特別展示室)においてパネル展示を
行っています。
さらに、明治大学の学内カフェ・パンセにて3ゼミナールの企画・開発商品も提供販売しております(メニュー表等紹介はこちら 4月8日まで〈予定〉)。併せてぜひ観覧・ご利用お願い申し上げます。
出席者
明治大学商学部 小林尚朗教授
小林ゼミナール学生 (ゼミナールHP)
明治大学政治経済学部 大森正之教授
大森ゼミナール学生 (ゼミナールHP)
明治大学情報コミュニケーション学部 島田剛准教授
島田ゼミナール学生 (ゼミナールlinktree)
1.自己紹介
小林尚朗(以下小林)
私は世界経済論を専攻しています。なかでもアジアの貿易を主に研究しています。私が所属するグローバルビジネスコースでは、ビジネスに関心がある学生が多いです。現在、グローバリゼーションが進展して世界のサプライチェーンが見えにくくなり、自分たちが使っているモノが誰によってどのように生産されているのか、意識しないとわかりません。そのため、ゼミでフェアトレードを題材とした勉強を行っています。
小八木将史(以下小八木)
小林ゼミのゼミ長をつとめています。小林ゼミに入ったのは常に変わりゆく世界情勢をできる限りリアルタイムで学びたいという思いがあったからです。正直ゼミに入るまではフェアトレードについてなんとなく知っているという程度だったのですが、ゼミに入って小林先生のもとで学びを進めていく中で、自分もフェアトレードに携わりたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。
此上愛斗(以下此上)
私は小林ゼミの2年生で、Meiji Fair Trade Clubの代表を務めています。私がゼミに入るきっかけは、はっきりとは覚えていません。というのはとても自然にゼミを決めてしまったからで、小林先生のお人柄やゼミの皆さんの雰囲気をみて、すぐにこのゼミで学ぼうと決めたからです。実際にゼミに入ってからも勉強になることや楽しいことばかりで、小林ゼミに入ってよかったなと思っています。
大森正之(以下大森)
私は政治経済学部で環境経済学を担当しています。環境経済学に足を踏み入れたのは、子供の頃から昆虫採集や魚釣りに熱中したことが一つのきっかけかな、と思っています。また父の実家が琵琶湖近くでして、琵琶湖が汚れていくプロセスを目の当たりにしたこと、私がかつて住んでいた東京都江東区で六価クロム鉱さいによる土壌汚染問題があり、私の友達にその被害者が大勢いたことも関係しているように思います。そういったことから環境経済学をやってみようと考えていくようになりました。一方母は神保町生まれでして、戦前は大森米穀店を祖父母が神保町で営んでいました。そういう関係で、江東区在住ではあったのですが、私は千代田区立神田一橋中学校に進学しました。母はPTAの役員も務めたがっていました。息子を一橋中学校に進学させて、かつての仲間と旧交を温めようという魂胆だったのでは、と疑っています。高校生の頃には神保町まで出かけてジャズを聴いていたくらいで、この界隈には非常に愛着があります。
また明大通りのプラタナス街路樹の保存を求める運動にも関わって、それがきっかけで街の植物のことについても関心を持つようになり、またひょんなことがきっかけで、ミツバチを飼うことになりました。もともと昆虫は好きではあったんですが、セミプロをめざして養蜂をはじめたところです。ひょんなこと、については後でお話しします。
大塚和佳(以下大塚)
私は大森ゼミの副ゼミ長を務めています。ゼミの養蜂活動の中心として、外部への広報はじめとくに今年度は「全集中」してやってきました。ゼミに入ったきっかけは、かねて環境問題に関心があったことに加え、政治経済社会のなかで環境をみることができるという点に魅力を感じました。ゼミに入ったときはまだ養蜂活動は行われておらず、こんなことをすることになるとは夢にも思いませんでした。私が3年生になってから養蜂活動がはじまったのですが、こんな稀有な機会もないということで、充実した活動にしようと今に至っています。
佐藤孝樹(以下佐藤)
私は来年から本格的に養蜂活動に関わる予定です。コロナ禍で人と接する機会が減っているなか、他のゼミのみなさんとお会いできる機会が得られたことを大変うれしく思っています。
島田剛(以下島田)
私は明治大学に着任して4年目です。それまではJICAや国連で働き、途上国開発のプロジェクトや国連での交渉などにあたってきました。ただ、多くの学生にとって途上国というと遠い存在です。そこで生活の身近にあるコーヒーと明治大学にとって一番身近な街である神保町を組み合わせたら、より多くの学生が関心を持ってくれるのではないかと思ってはじめたのが「神保町コーヒープロジェクト」です。途上国だけではなく、先進国の問題も同時に考えるというものです。
今、新型コロナウイルス感染症は、南アフリカでオミクロン株が特定され、それが全世界に流行しております。神保町のビジネスもそれによって影響を受けています。遠く離れた世界と眼の前の街がつながっていることを学生たちに理解してもらいたい。そのために、一見全然違うと思われるコーヒーと神保町とを組み合わせてやっています。
また、こうしたプロジェクトに取り組む中で私自身がコーヒーと神保町に縁があることを最近知りました。ある日、神保町二丁目を散歩していたら、海文堂ビルという建物があることに気づきました。海文堂とは聞いたことがあるな、と思い返すと実家の屋号と一緒です。私の実家は神戸で、海文堂書店という書店を営んでいました。
調べてみると、私の祖父がかつて神保町で海文堂出版を営んでいたんですね。海文堂出版では、海事関係の本を中心に出版していたのですが、なぜかコーヒーに関する書籍も出版していました(石光季男『コーヒーの知識』海文堂、1956年)。石光季男さんというのは今、神保町プロジェクトでもお世話になっている石光商事(株)の初代会長です。
神保町で祖父が出版社を経営していたことも、コーヒーの本を出していたことも知りませんでした。最近そのことを知って、個人的にも神保町にとても縁を感じて、私自身も楽しみながら学生たちとプロジェクトに取り組んでいます。
中山優衣(以下中山)
島田ゼミのゼミ長兼明治大学SDGsコーヒープロジェクトのプロジェクト長を務めております。3年生と4年生それぞれ別のプロジェクトに取り組んでおり、3年生は神保町珈琲、4年生は明治大学SDGsコーヒーの開発をしました。私は1年生の基礎ゼミから島田先生のゼミに所属しています。明治大学入学時から国際開発・支援に携わりたいという思いがありました。大学でどのようなことを学ぶか考えていたときに、先生がJICAや国連でされていた仕事の内容を知り、「これだ!」と思ってゼミに入りました。またご縁があって大森ゼミの養蜂活動にもお邪魔しております。このような場でみなさんのお話を伺えること大変楽しみです。
曽我隼太(以下曽我)
私が海外への興味をもったきっかけは料理研究家である母の存在でした。仕事柄世界中を飛び回っており、帰国すると海外の土産話を聞かせてくれました。それは漠然とした海外への興味だったのですが、大学に入学後島田ゼミに出会いお話を伺い議論を重ねる中で、大学ってこんなにすごい経験を持つ先生方のおられるところなんだと感銘を受け島田先生のもとで学びたいと考え今に至ります。来年度以降はプロジェクトの継続性、そして更なる神保町とのコネクションの創出を視野にゼミナール活動に取り組んでいきたいと思います。
次回は、「日ごろの指導やゼミナールの活動について」お聞きします。
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