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学芸研究室から

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明治大学博物館と明治大学史資料センターの展示部門担当者による解説記事(コラム)です。大学史・商品・刑事・考古の収蔵資料、調査研究、展示をテーマに配信します。
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記事一覧

学芸研究室から(第16回)【刑事】人相書

皆さんは江戸時代の人相書をご存じでしょうか。時代劇の中では、容疑者の顔を描いた人相書など…

学芸研究室から(第15回)【大学史】神田学生街のなかの明治大学駿河台キャンパス

東京都千代田区神田駿河台1―1。これは駿河台キャンパスの住所です。千代田区には、このような…

学芸研究室から(第14回)【考古】洋風瓦のさきがけ・ジェラール瓦

日本初の本格的な西洋瓦である「ジェラール瓦」が、当館で所蔵している個人の瓦コレクションと…

学芸研究室から(第13回)【大学史】さよなら明治大学和泉第二校舎!そして和泉ラー…

懐かしい学び舎が、新しい建物にその役割をバトンタッチします。 和泉第二校舎は1960年の竣工…

学芸研究室から(第12回)【商品】時代の様相を映す「伝統工芸」

工芸品の種目や産地の別によっても違いはあるのだが、昔ながらの懐かしいイメージを抱いて産地…

学芸研究室から(第11回)【刑事】今川仮名目録

今川仮名目録は、戦国大名今川氏の制定した分国法です。1526年に今川氏親(うじちか)が制定し…

学芸研究室から(第10回)【大学史】文学部90周年と初代学部長・尾佐竹猛

本年(2022年)は、文学部の前身である専門部文科の再興から90周年にあたります。文学部は、1904(明治37)年の学則改正で設置されましたが、思うように学生が集まらず、すぐに学生募集停止となりました。しかし、大正時代末から昭和戦前期にかけて総合大学化を推進していた明治大学は、専門部の一科として文科再興を決定しました。そして、尾佐竹猛(おさたけ・たけき)を今日の学部長に相当する初代専門部長に任命しました。 尾佐竹は、1880(明治13)年に現在の石川県羽咋郡に生まれました。

学芸研究室から(第9回)【考古】明治大学記念館前遺跡の胞衣(えな)容器

博物館常設展示室入口の導入展示コーナーでは、駿河台キャンパスのリバティタワー建設時に発掘…

学芸研究室から(第8回)【大学史】大学史からみた感染症パンデミックの謎─100年前…

2020年から猛威をふるう新型コロナウイルス感染症。まだまだ予断を許さない状況です。その流行…

学芸研究室から(第7回)【商品】SNSが変える工芸品の付加価値

コロナ禍によって伝統的工芸品業界は、①都市圏へ出張しての展示販売、②産地への訪問客の誘致…

学芸研究室から(第6回)【考古】石器時代の黒曜石のおはなし

 みなさんは、黒曜石(黒曜岩ともいう)をご存知だろうか。石器時代には石器の材料としてめっ…

学芸研究室から(第5回)【刑事】生類憐みの令

刑事部門の常設展示室には、生類憐みの令が展示されています(写真1展示風景、写真2生類憐み…

学芸研究室から(第4回)【大学史】明治大学中興の祖・鵜澤總明

大学史資料センターでは、本学創立140周年記念事業の一環として、鵜澤總明(うざわ・ふさあき…

学芸研究室から(第3回)【考古】佐賀県桜馬場(さくらのばば)遺跡の甕

「甕棺」は、弥生時代の北部九州で盛んに使われた土製の棺であり、有名な佐賀県吉野ヶ里遺跡や福岡県立岩遺跡をはじめ、九州の王墓級の墓の棺にも用いられています。写真1のように甕の形をしたものが代表的ですが、写真2のように壷形に作り、上部を打ち欠いて使っている例もあります。 甕棺は教科書や副読本の弥生時代の項でよく写真が掲載されているのでご存知の方も多いと思いますが、九州以外では展示で目にする機会がなかなかありません。実物の甕棺を目の前にしたとき、まず驚かされるのはその大きさです。